たいらりょうたのブログ

沖縄と性と仕事について考える26歳の日常記録

「男女の恋愛に例えると〜」って例え話、本当にわかりやすくなってる?

今日はいつもより遅く起きてしまったが。

30分ほどウォーキングをして、湯船に浸かり、豆乳を飲み、爽やかな朝である。

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こうしてパソコンをカタカタしながら見える窓の外は緑と青と白の色合いがちょうど良いカンジでテンションが上がる。

 

昨日干した洗濯物たちも天気が良くて嬉しそう。

劇団四季を見に行って、大西ライオンのネタでしか聞いたことがなかった

「心配ないさー」を生で聞いて感動した勢いで買ったライオンキングバスタオルは

いつも部屋を覗いてくる。(おはよう☀️)

 

コロナ第1波で1ヵ月ほど家にこもっていたこともあり、どうにか家を快適に過ごせる空間にしようか考えた結果、カフェよりも居心地の良い空間になってしまった。

 

今では外出しても、すぐに家に帰りたくてしょうがない。

(ただ日によっては全く仕事が手に付かないので、切り替えをどう仕組み化するのかがもっぱらの課題。)

 

湯船でふと考えたこと

そんな爽やかな始まりを迎えた今日だが、

先ほど湯船に浸かりながら、ふとこんなことを思った。

 

「男女の恋愛に例えると〜」

って例え話、本当に相手に伝わりやすくなってるの?

この「男女の恋愛の例」わたしには少々引っかかる言葉だ。

 

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そもそも例え話ってなんだろう?ということで、Google先生に聞いてみた。

 

例え話とは、

短い話で普遍的な真理を説明するものであり、物語の中でも最も単純なもののひとつである。たとえ話においては、まず状況が簡単に説明され、次に行動が描写され、最後にその結果が示される。

〜中略〜 

目的は「聞き手に、当人には直接の関わりがない、したがって利害に関わらない立場からの判断を引き出すことが期待できるような事案を提示し、聞き手自身が正しい判断を悟るよう啓蒙する」ことである

引用元:weblio辞書「たとえ話」

 

要するに、

「難しい複雑な話を、わかりやすく普遍的に本質を伝えること」であり、

「聞き手が正しい判断ができるようなアシストをする」ことである、と。

 

そういうわけである。

 

では、「男女の恋愛に例えると〜」は、

 

  • 本質をわかりやすくしているか?
  • 普遍的か?
  • 聞き手の正しい判断を引き出せているか?

 

と考えてみると、少なくともわたしは「うーん・・・」と考えてしまう。

 

この男女の恋愛例え話は、大学の授業でも聞いたことがあるし、社会人のコミュニケーションの中でも聞いたことがある。年に数十回は聞いている気がする。

その度にわたしは、引っかかってしまう。

 

「いや、やめて〜」

「男女の恋愛知らないし〜」

「価値観を普遍的であるかのように語らないで〜」

 

本来相手が伝えたかったことがわかりやすくなるどころか、

女らしさや男らしさに基づいていることが多いし、

本質的でもなければ普遍的でもないし。

なのにそれをさも普遍的であるかのように語る姿を見て、

この人は異性愛中心主義かつ恋愛至上主義なのか?

と要らぬ疑いを持つハメになる。

 

目の前の話に集中したいのに、「男女の恋愛の例え話」を使われた瞬間

わたしの思考を妨げる。

 

はぁ。。。笑

 

他の人に確かめたわけではないので、本当に主観でしかないが。

 

 

本当に多様なんだよ、男女の恋愛も。

 

わたしは、同性愛であること、シスジェンダーであることを自認しているわけだが。

そして強い信頼関係をで恋に落ち、性的な感情(性愛)は見た目で判断する傾向がある。でも強い絆があれば体の繋がりはいらないとも思っている。

 恋愛をロマンティック、性愛をセクシュアルといって、それぞれに名前がついている。

わたしの場合は、

 

恋愛(ロマンティック)

強い信頼関係=デミロマンティック

 

性愛(セクシュアル)

見た目で判断=アンドロセクシュアル

強い絆があれば体の繋がりはいらない=フレイセクシュアル

 

である。

つまりわたしという人間をまとめると、

 

身体的性と性自認が一致しているシスジェンダーで、男性同性愛であるゲイ

強い信頼関係を築いて初めて恋愛感情を抱くミロマンティックで、

セックスの相手を外見で決めるアンドロセクシュアルで、

強い絆があれば体の繋がりはいらないフレイセクシュアル

 

というわけである。

こんだけ1人の人間の中にあれば、男女の恋愛の例えが、いかに普遍的でないかがわかる。

 

もう令和なんだから

ということで。

今日はわたしの中のモヤモヤを言語化してみた。

 

要するに、男女の恋愛の例え話がまじで嫌い。

 

ということだ。笑

男は女からモテたくて、女をリードすべきで、理屈っぽい生き物

女は男から来るのを待つ生き物で、ガツガツせず、感情的な生き物

というガチガチのゴリゴリのべきべき論で塗り固められた例え話なんて

もう昭和の考え方でしかない。いや、もっと昔かもしれない。

 

恋愛の例え話、みなさんはどう思いますか?

やっぱりわかりやすいのかな?

でもそれぞれの恋愛観ってあるでしょ?

 

もっと普遍的で本質的な例え話作りたいなぁ。令和だから。

全人類が1日10分でもジェンダー/セクシュアリティについて考えるような世界を創りたい

コロナ自粛期間で、体重が増えてしまい。

今日から運動の習慣を付けようと、朝ジョギングをすることにした。

 

体を動かすのがあまりにも久しぶりすぎて、ほぼウォーキングだったけど。笑

家の周りを40分ほどテクテクしてみた。

やっぱり体を動かすと頭もすっきりするんだなぁと実感。

 

実は昨日お笑い芸人のレインボー池田さんのナイトルーティーンの動画をみて、

 「美容に気遣うの良いなぁ」と思い。

早速真似して湯船に入浴剤を入れて浸かり、

スキンケアをしたわけである。

 

 

でもそれだけでは物足りなくて、

というか美容的に今の体重はどうなんだ?と

わたしの中で疑問が生まれたので、

美しくなって自分の外見に自信を持ちたい

という大義名分を掲げ今日の朝を迎えたわけである。

 

ちなみに美容の敵、野菜不足を補うためのサプリメントも2週間ほど前から飲み始めた。スーパーでも野菜を多めに買うようにしている。

(本当はオーガニックを買いたいけれど、まだ手が出せないので、せめて地産地消のために県産品を選んでいる。)

 

それはともかく。

湯船に浸かり、朝運動をする、という行動をしてみて、

改めて体をリラックスさせる時間の大切さを実感したわけである。

まさにクオリティオブライフの向上。

 

創造性の4Bは本物だと改めて実感

湯船に浸かり、朝運動をしていて、

1番良いなぁと思ったのは、

 

考え事や行動の計画が整理されていく感覚があったから

 

である。

よく、創造性の4Bという言葉を聞くが、それは本当だなぁと思う。

正確にいうと、多分4なのかBなのかはどうでもよくて。

 

メンタルではなくて、

物理的に体をリラックスさせることに効果がある。

だと思う。

 

ちなみに、創造性の4Bとは、

 

Bathroom(入浴中やトイレ)

Bus(バスなどの移動時)

Bed(睡眠中・寝る前・起床時)

Bar(バーや居酒屋で飲んでいる時)

 

である。

確かに。4Bの時間ってめっちゃいろんなアイデア思いつくよね。

ちなみに 4Bの時間はスマホを手放して、デジタルデトックスすることで、

より効果が高まることは身を以て体験済み。

 

 

リラックスして気づいたわたしのやりたいこと

ではリラックスしてどんな考えが整理されたのかというと。

 

実は最近、 anone,というセクシュアリティ診断ツールを創った、たかひろさんと一緒に「性」「ジェンダー/セクシュアリティ」というテーマでプロジェクトを起こそうとしていて。

 

  • 課題は何か?
  • 誰の課題か?
  • マーケットはあるのか?
  • 独自性は?

 

なんてことを日々考えているわけである。

 

ジェンダーセクシュアリティというと、課題を認知しているのは"マイノリティ側"になってしまう。

でも、解決するためには"マジョリティ側"を巻き込まないことには何も始まらない。

 

こういうマイノリティが抱える課題を解決するためにはフェーズがいくつかあると思っていて。

 

  1. 認知→当事者が声をあげる(イベント/ムーブメント的な)
  2. 啓蒙/理解→知識としてインプット(研修、講演、勉強会的な)
  3. 最初の共感者を増やす→取り組みを実施する(国や企業の制度を整える的な)
  4. 大衆に浸透する→マーケットが確立する(??)

 

(もちろん、当事者サポートなどはこのフェーズとは別軸で考えなければいけないが。)

 

今の日本で行われているのは、大体3くらいまでかなぁというのが、主観である。

 

 

「でも、自分がやりたいのは4だ。」

 

そう気づいたのが昨日今日のリラックスをしている最中だった。

 

自分が創りたいのは、

「全人類が1日10分でもジェンダー/セクシュアリティについて考えるような世界」

だ。

 

性を考えることは、生について考えること。

なんの根拠もない、主観でしかないが、

人種や階級に比べると、

男女という性の概念は、

より単純で、より強固で、世界中のどこでも存在しているように感じる。

 

当たり前すぎて無自覚なだけで、

「女である」「男である」「異性愛者である」ことを考えさられる場面は毎日毎日常に存在している。

そこに自覚的になる。それだけのことだ。

もう少しいうと、何か性に関する固定観念に出会った時に、

「それって性別関係ないよね」と言える世界。

その先には、ジェンダー平等な世界、誰もが「らしさ」を強制されず、個を尊重しながら生きる世界が広がっている気がする。

 

 

そのための解決策を今考えているんだ!

というわけで、朝のウォーキングをしていて思いついたことをつらつらと書いてみたわけで。笑

 

「全人類が1日10分でもジェンダー/セクシュアリティについて考える」そんな世界を実現させるための「具体的なアクション」を今考え、行動して、また考え、を繰り返している。

それがもう楽しくて楽しくてしょうがない。

 

まだまだ抽象的で、爆発力はないけれど。

ジェンダー/セクシュアリティについて考えることが、

全人類のナイトルーティンになるくらいに、

日常生活に浸透させていきたいなぁと思うわたしであった。

 

今日もお仕事頑張ろう!

行ってきます!

 

深夜のコインランドリーにて

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最近雨続きで溜まりに溜まった洗濯物たちを洗って、乾燥機にかけた。

 

午前2時。

 

BUMP OF CHICKENなら、

望遠鏡を担いで踏切にいる時間帯だ。

雨は降らないらしい。

(雨降ってたからコインランドリーにいるわけだが。)

 

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30分。

 

待ってる間に読むお供はこちら。

 

いまこそ、

ジェンダー」の

話をしよう。

 

 

りゅうちぇるが表紙だったこともあり、

Amazonでそっこーポチった。

 

 

最近、ジェンダーセクシュアリティの学び直しをしている。

 

 

というのも、

性教育関連のプロジェクトと、

セクシュアリティ関連のプロジェクト

2つのプロジェクトを動かし始めたこともあり、アウトプットの質を高めるためのインプットを始めたわけである。

 

 

やはりゴールを見据えた上でのインプットの質は高まる。

ただひたすらに、楽しい。

 

アウトプットを前提に、インプットすることの快感を覚えたのは、

大学2年生、3年生の時にジェンダー/セクシュアリティをテーマに1万字のレポートを書いた時以来かもしれない。

 

ちなみに、その時必死にインプットした知識は、今この瞬間まで自分の武器になっている。

 

2020年。

これからインプットする知識や情報たちもきっと、これからの長い人生の中で、大切な武器となるはず。

 

 

そう思いながら、近所のコインランドリーでジェンダーに関する雑誌を読んでいる。

 

そろそろBUMP OF CHICKEN

知らないものを知ろうとして

望遠鏡を覗き込む頃だろう。

 

いまこそ、

ジェンダー」の

話をしよう。

 

覗き込んだ先に、

ジェンダー平等な未来が、

私には見える。

 

わたしたちが子どもを育てるということ。

夜中に突然目が覚めて。

 

たまたまはやとも起きていて。

 

子育ての話になった。

 

夜泣きを夜泣きと思わない友人の話を聞いた、わたしたち

 

と、いうのも。

 

友人に最近子どもが産まれ、

 

12時に1回、3時にもう1回、

 

夜泣きで目が覚めるという話を寝る前に聞いていて。

 

(まぁ友人自身はこれを夜泣きとは捉えていなかったが。)

 

それを聞いていたからなのか、

 

はやとが唐突に

 

 

「うちらは子育てしちゃいけないのかもね。」

 

なーんて言い出して。

 

わたし「えー、なんで?」

 

はやと「だってお腹痛めて産んでないから、責任感とか持ちづらいんじゃない?」

 

わたし「たしかに、それはゲイとかじゃなくて、男性自体がそうだよね。」

 

はやと「そう、だから子育てしちゃいけないのかなーって。うちらはお腹痛めないで楽しちゃえるじゃん。」

 

わたし「えー、でもそれは覚悟というかなんというか、そういう話じゃない?」

 

はやと「でも一般的に母親の方が子どもへの愛情強いよね」

 

そんな会話をつらつらと。

 

はやと「でも、子ども持ったら、わたし変わる気がする。やっぱ(夜中泣いたら)起きると思うわ。」

 

わたし「えーあんた朝起きれないんだからそこは変わらないよ笑」

 

 

はやと「子ども持っ"たら"って言ってるでしょ!」

 

わたし「いや、実績がないから説得力ないね。いつも起こしても起きないもん。笑」

 

はやと「あら、あなた実績なんて気にする人だっけ?笑」

 

ここで会話は唐突に終わりを告げた。

 

突然始まった会話は、

 

突然やってきた就寝で終わった。

 

当たり前の日常会話にこそ価値があると思ったわたし

 

そんな会話の直後。

 

多分このまま寝たら、明日?今日?の朝には

きれいさっぱり忘れているかもしれない。

 

そう思って久しぶりにブログを書くのであった。

(ほんと。意図せず久しぶり。笑)

 

だって、とっても面白い会話だったと思うから。

 

 

ーわたしたちは同棲している。

 

沖縄県浦添市

 

 

なぜこの街を選んだかというと、

 

性の多様性にかんする条例案が議会に提出されたと聞いたから。

まぁ、最近のニュースだと議会の審議入りすらしてないらしいが。

 

つまりは現時点で法的にはただの友人同士のルームシェアであり、子どもを持つことは法的には想定されていない。笑

 

ちなみにそのことに関しては特段、悲観的ではない。

 

ふとしたときに、はやとと一緒に、

 

子育てしたいねー、でもうちらできないねー笑

 

なんて会話をフツーに繰り広げている。

 

 

今日も普段の会話の中の一部だったが。

 

なんとなく残したくなった。

 

多分、当たり前の日常会話だったからこそ、

 

価値があると感じたから。

 

わたしたちの関係性のリアルが表れていたと思ったから。

 

 

おやすみなさい。

 

起きてしまって、寝付けなかったから。

 

なんとなく、

 

ブログ最近かけてねぇなぁ

 

と思っていたから。

(途中まで書いた下書きは溜まっていく一方なんだが。笑)

 

でも今日は書きたくなったから、思わず溜まっていた下書きを放置して新しく書いた。

 

明日?今日?はゆっくり作業ができそうだから、たまった下書きを世に出して供養するとしよう。

 

 

それではおやすみなさい。

LIVE配信アプリをインストールしたわたしは性別を語る

LIVE配信という新たなSNSの出現にビビるわたし

いや、こんなに多いんかい!

と、ツッコミ in my mind. 

 

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と言うのも、最近の若者の間ではLIVE配信が流行っているらしい。

(最近の若者の定義とは。笑)

YouTubeの次の進化版メディアかな?

と思いきや、どちらかというとFacebookTwitterInstagramの延長にある

SNSとしての色が強いっぽい。

 配信者(ライバー)と、リスナーの距離が近く交流できることが人気の理由らしい。

 

 ざっとググってみただけでも、20〜30のアプリが見つかった。

 

いや、違いがわからんぞ!?

 

とりあえず片っ端からログインして触ってみる。

 

なーるほど。

アプリによって少しずつ違いがあるっぽい。

 

  • 有名人or素人
  • 年齢層
  • 男女比(見た目で判断)
  • 海外ユーザー比
  • 投げ銭制度の有無
  • 配信動画切り替えが縦スワイプできるか

 

といったところか。。。

あとは、声オンリーとか、ゲーム実況に向いてるとか、

アバターで配信できるか、とか。

基本的に選ぶ基準は、高画質、低遅延、らしい。

5Gが浸透したら、もっと当たり前になる気がする。

 

 

登録してみて気づいた「素敵やん♡」ポイント

 

それぞれのアプリに登録してみて、1つだけ

「あ、めっちゃ素敵やん♡」

と思うことがあった。

それは、

 

性別選択肢が「男性・女性・その他」になっていたこと!

 

アプリ設計に関わって選択肢を出してくださった方にめっちゃいいね!を送りたい。

ちなみにわたしは、男性を選ぶことがほとんどだが、時々その他を選びたい時がある。

(大抵は男性性を求められて疲れたあととか、女性蔑視的な発言に出会った後とか)

 

今回は男性を選択したけれど。

 

なんというか、少しずつだけど変わっていっている実感。

こういう性別選択一つとっても悩む人がいるから、その他があるのは嬉しい。

もしくはこういう案はどうだろうか。

 

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「なんのために性別データをとっているのか」にもよるけれど、

 

男性器か女性器か(つまり生物学的なオスメス)が知りたいわけではないでしょ?

「女性はこう」「男性はこう」という行動分析のためにとってると思うんだ。

 

ってことは、把握したいのは性自認ってこと?

だったら、上の形がベストだと思うんだよね。

 

1人の人間の性自認には、男性軸も女性軸もある。

 

だったらどちらも表現できるようにしちゃえばいいと思うんだ。

これだったら、性別がないって人はどっちもゼロに持っていけばいいし。

あ、でも「中間なんだ」って人は表せないか。。。

男女とも同じ%にすれば表現できるのか。。。

これは是非とも「中間なんだ」っていう当事者に聞きたい。

 

まぁ、「中間なんだ」の表現をどうするかに課題は残るけれど、

今現時点でわたしが考える性別データ集めの良い方法は、

男女二軸のパーセンテージ入力だ。

データとして活用しやすいかどうかはわからない。笑

ちなみに誰かと誰かの回答が完全一致する確率は1/10,000だ。

 

ただ、入力者側は、性自認をふと考えるきっかけになったり、

男女で迷う人が入力しやすくなったりするのでは?

と思っている。

これは是非とも使い勝手をユーザーインタビューしてみたい。

 

 

登録してみて気づいた「なんっ・・・だと!?」ポイント

 

しかーし!

登録してみて、

「なんっ・・・だと・・・!?」

と思うこともあった。

それは、

 

ルックス売り?の方々が多い

 

いや、これは良い悪いの話ではないんだろうけれど。

ちょっとびっくりした。

いや、だいぶびっくりした。

 

LINE LIVEなんかは、美男ライバー、美女ライバー決定戦なるイベントを開催している。

日々自分の中のルッキズムと戦っている私からすると、

ヒェェェ!やめてくれぇぇぇ!

である。

 

自らの意思で武器にしているから構わないのだろうけれど。

17LIVEは特に「美」がフォーカスされているような印象。

でもきっと、これだけ多くの人が美への関心、憧れがあるんだろうなぁと。

良い悪いの軸で語ることはナンセンスだなと思う。

 

でも、

もしこの世界に見た目の可愛さかっこよさ、みたいな軸がなかったら、

どうなっているんだろう?

ということに興味はある。

 

もしかしたらつまらない世界かもしれない。。。

LIVE配信アプリが生まれていない可能性もある。

モデルやアイドルという仕事もない。

エンタメ界の構図はがらりと変わるだろうな。

 

あと、圧倒的に女性(見た目で判断)のライバーが多い。

なぜだろう。。。?

やはり美への関心の高さは女性性の特徴なのだろうか。。。

それとも、何か別の理由があるのか?

そんなことを考えさせられた日だった。

 

うちらライバー目指そうぜ

なぜそもそもLIVE配信アプリの話題になったかというと。

お仕事のイベントの情報発信ツールとして使ってみよういう話が出て。

 

やはり今時は、

文章<写真<動画≦ライブ配信

だろうということで。

 

PR担当としてもこれは試さないわけにはいかないでしょう、と。笑

 

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最近から少しずついろいろなLIVE配信アプリを試している。

今日はランチしながらライブ配信の練習をしていたのであった。

 

もちろんルックス売りではなく、真面目な話をおもしろく。

そして真面目に取り組んでいる私たちの「わたしたちらしさ」

を笑いを交えながらお届けできればと思っている。

 

今まで出会うことができなかった人たちと繋がれると思うと、

ワクワクである。

いつぞやの、友達100人できるかな?なーんて心配は、

どこかに吹き飛んでしまう。

きっとそのうち国境なんてものも、

どこかの誰かが国境に造ろうとしている壁なんかも、

吹き飛んでしまうだろう。

 

いつかー。

いつか性別という壁も、美醜という壁も吹き飛んだ世界をみてみたい。

その世界は混沌か、桃源郷か。

どちらにせよ、世界のアップデートはもう少し先かなぁ。

写ルンですで記録した3人暮らし

 

時代の生き証人として、今を生きるわたし

新型コロナ、ついに沖縄でも新規感染者が出た。

68日ぶりだとか。確かに観光客増えた感じするもんなぁ。

東京から入ってきたのかなぁ。

 

そして米軍基地内ではクラスター感染、らしい。

なんとなんと。アメリカから直輸入?

 

本当に大変な時代に生きているなぁと思う。

でもそれって時代の生き証人になるってことだよな。

確実に教科書に載るよね、このパンデミックは。

きっと2045年くらいになったら、

「あの時はね〜」って子どもたちに向けて語ってるんだろうな。

その時はホログラムで喋ってるかもね。

 

2020年4月、家にこもっていたわたし

また緊急事態宣言が出されるのは嫌だなぁ。

4月はずっと家に籠りっぱなしだった。

元々リモートワークだから、働き方自体にはそこまで大きな変化はなかったけど。

(あ、週一回やってた定例MTGもオンラインになったくらい、)

 

わたしは浦添に住んでいる。

はやとと2人暮らしだ。

 

はやとはわたしより5つ下。

ゲイ専用の出会い系アプリで知り合った。

ちょうど今年の4月から同棲を始めた。

まぁはやととの関係はまたの機会に書くとして。

 

4月中、わたしは家に篭り2LDKの1室を「オフィスぽん」

と名付け、MacBook Proをカタカタしていた。

 

一方ではやとはコールセンターのお仕事で、

新人指導のために出勤していた。

 

基本的にずっと家にいるわたしは、

リビングと寝室とオフィスぽんの移動。

はやとが帰ってくるまで無言。

 

退屈だった。

 

退屈すぎて、

Amazon prime videoとNetflixを契約した。

そしてつい最近、fire TV stickまで購入した。

おかげさまで、今では毎日enjoyしている。笑

 

映画やアニメ、ドラマを一気見した。

これまで見た作品を並べてみようかな。

 

映画

アニメ

 

ドラマ

  • SPEC
  • UPLOAD
  • 高い城の男
  • クィア・アイ
  • LAW&ORDER
  • モザイクジャパン

 

基本的に見た感想は、Twitter行きだ。

というか、見てる途中からTwitter行きだった。

溢れんばかりの感性をダダ漏れさせていた。

一個一個感想を書きたいが、それもまた次の機会に。

 

 

「怒り」を見た後に3人暮らしの尊さがフラッシュバックした

 

話が前後するが、はやとと同棲を始める前、

わたしは宜野湾でルームシェアをしていた。

よーてん、はるな、わたし、の3人暮らし。

 

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みな琉球大学で政治国際関係を学んでいた友人同士。

2018年の10月頃から、3人での暮らしは始まった。

 

さて、突然だが私からみなさんへクイズ。

 

 

Q.円満なルームシェアに必要なことは?

 

 

 

 

 

 

正解は、「お互い干渉しすぎないこと」である。

ルームシェアをしている先輩から聞いたので、間違いない。

そのためには部屋を分ける必要がある。

 

 

が、しかし。

わたしたち3人は、そんなことはしなかった。

3LDKの間取り全て共用スペース。

寝室も一緒、リビングも一緒。

 

理由はひとつ。

3人で暮らす意義は、コミュニケーションそのものだったから。

 

お互いを尊重し合い、丁寧に言葉を選んで、でも言いたいことはちゃんと言う。

そんなコミュニケーションが自然発生するように、

わたしたちは空間を区切らなかった。

ふすまを取っ払って、開放した。

 

元々同じ学問を学んでいたこともあり、

共通言語が多かった。

 

政治、性、社会課題、仕事、お金、悩み、恋愛、雑談

 

いろいろな会話を楽しんだ。

2人でも4人でも成り立たなかっただろう。

3人だったから成り立った。

 

誰ともなしに、話題が出る。

誰かがそれに応える。

さらに会話が重なる。

そんな空間は心地よかった。

 

 

 

prime videoで「怒り」という映画を見た。

沖縄が一部舞台になっている。

見終わった後になんとも言えない、処理仕切れない気持ちになった。

その時にふと頭に浮かんだのは、

よーてんとはるなの顔だった。

2人はこの「怒り」を見て、何を感じ、考えたんだろう。

 

その時にふと、

あぁ、わたしは3人での暮らしが大好きだったんだ

と気づいた。

はやとではなく、わたしではない誰か、でもなく、

よーてんとはるなの考えを、感じ方を聞いてみたい、と思った。

 

今、はるなとわたしは沖縄にいるが、別々の場所に住んでいる。

わたしははやとと同棲中だ。

よーてんは兵庫に行った。 

おそらく。

また一緒に暮らす時間がこの先訪れることはもうないだろう。

そう思うと一緒に過ごした時間が尊く感じた。

 

 

写ルンですで記録した3人暮らし

元々3人での暮らしは期限つきだった。

よーてんが大学を卒業するまで。

2018年10月から、2020年3月まで

暮らし始めた時からゴールが決まっていた。

 

 

ゴールが見え始めた2020年1月くらい、

だったと思う。

「せっかくだから、3人の暮らしを記録しよう」

誰かが言った。

 

1人1つずつ、写ルンですを買った。

何気ない日常を、お互い撮り合った。

 

そしてつい先日、

撮り終わった写ルンですを現像しに行った。

 

スマホで簡単に写真が取れる今、

写真を現像する機会なんてなかなかない。

 

紙に印刷された写真たちを見て、

懐かしさと、二度と戻れない儚さとが入り混じった気持ちがこみ上げてきた。

 

3人での暮らしは、わたしの人生の数ページに渡って刻まれる出来事だ。

掲載する写真を今から選んでおかなければ。 

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俵万智のツイートに背中を押されてブログを始めた、わたし

俵万智に背中を押された私

そうだ、自分のインプット&アウトプットサイクルを上手く回すためにブログを書こう!!

と思い立った2020年5月28日の誕生日から1ヵ月以上が経った7月6日。

 

たまたまTwitterで見かけた俵万智のツイート、

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これを見つけた時に、

「あぁ、多分わたしが"自己表現"したいと思って始めようとしたブログも、YouTubeも、誰かからのいいね(=社会的な価値を提供しているという承認)を前提にしていたから始まらないんだ」

と思った。

 

いや、多分もっと前から気づいていたんだろうけど。

 

ちゃんとすんなりとその私を受け入れてあげられたのは俵万智の、

このツイートのおかげだった。

 

随分と時間がかかってしまったなぁと。

まぁでもわたしは大器晩成型だ、と常日頃思っているので、

別に気に病むほどではない。

 

 

「最初っから完璧な人なんていない。」

「いや、そもそも完璧なんて存在しないよね。」

 

「そんなことはわかっているよ!」

「でも、ブログ書いたりYouTube始めるからには、面白いね!と言ってもらえるような記事や動画を作りたいよね。」

「そしたらやっぱり計算し尽くされた計画性が必要じゃない?」

 

「確かに!!」

 

 そんな問答がわたしと私の間で繰り返されていて、

わたしの上空1.5メートルにいる私が、

「じゃあ整理できたら教えてね〜」

と、スタバのドリップコーヒーを飲みながら

暇そうに見下ろしていた日々も今日で終わり。

 

やっぱり、

アウトプットの準備に手間取っている私よりも

雑ながらもアウトプットしているわたしの方が

生きていて楽しそうだなと思っているから、

雑ながらもこうしてMacBook Proのキーボードを叩いているわけである。

 

 

ところで。俵万智はセンスの塊である

私の背中を押してくれた俵万智の歌は本当に心を動かされる。

 

「この味がいいね」と君が言ったから七月六日はサラダ記念日

 

わたしはこの歌が本当に大好きだ。

ミーハーだと言われようがなんだろうが、好きな歌の一つだ。

中学か高校の学生時代に出会った記憶がある。

多分国語の教科書で見たはずだ。

教科書で出会った歌に、こんなにも心を動かされるのかと、

感動したことを覚えている。

 

聞いていて心地のいいリズム。

思わず声に出して呟きたくなってしまう。

57577の31音で刻む一文は、紛れもないアートだ。

 

まさか短歌の中に日付を入れてくるとは。。。

君と作者の仲睦まじい情景が自然と脳裏で再生される。

 

どんな味だったのかなぁ。

木製のボウルに入っているんだろうなぁ。

具材はなんだろう?

きっと朝ごはんで作ったのだろう。

その後はどうやって過ごしたんだろう。

 

どんどん想像が掻き立てられる。

自身の中に眠るクリエイティビティが刺激される。

琴線に触れまくっている。

 

そしてもう一つ、俵万智の歌で印象に残っているのが、

 

「寒いね」と話しかければ「寒いね」と答える人のいるあたたかさ

 

もう。。。

 

くぅーっ!!!!

 

である。笑

たった31音。たった31音でこんなにもほっこりすることができるのか、と。

もう。。。

くぅーっ!!!!

以外のなにものでもない。

 

ちなみにわたしの頭の中の検索エンジンでは

「会話 ほっこり 冬」

と入力するとこの歌が出てくる。

 

 

 

ところで。わたしはミーハーではないことを証明しよう

 

そんな、俵万智に影響を受けたわたしは高校時代、文芸部に所属していた。

俳句で県代表として高文祭の富山大会に派遣されたこともある。

わたしが「今日ツイートした俵万智しか知らないミーハー」ではない唯一の証拠だ。笑

 

ちなみに、当時県代表に選ばれたわたしの作品は

 

  • 少年の 虫取り網に 落ちる夕陽
  • 見上げた飛行機雲 鉛筆の休み時間

 

である。

生意気に自由律俳句なぞ創っていた。

解釈は読者にお任せする。作者自身が解釈を語るなんてそんな野暮なことはしない。

(あともう1つ創っていたけれど、忘れてしまった)

そして、伊藤園おーいお茶のラベルに掲載されたこともある。

 

  • かたつむり ハデに生きてる つもりでも

 

先に言っておくが、駄洒落ではない。

こちらも解釈は読者にお任せする。

 

ほら、これで学生時代から俳句や短歌に心を打たれ、自らも作っていたという証明ができた。 

話を俵万智に戻そう。

 

 

俵万智に影響されたミーハーなわたしは本を買う

だがここでふと、

1.5メートル上空にいるもう1人の私が囁いた。

 

「でも、わたしが知ってる俵万智の短歌ってその2つだよね?」

「なんだよ歌って。言い方短歌でいいじゃん!笑」

 

ふっ。。。

甘いな。1.5メートル上空のもう1人の私よ。

そんな君の言葉に

「確かにそうだよねーじゃあもうちょい俵万智のこと調べてからブログにするかー」

と相槌を打っていたわたしは、もうないのだ。

 

そして侮ることなかれ。

ちゃんとAmazon

の中古の単行本を購入済みだ。

サラダ記念日の1週間後、七月十三日には手元に届くだろう。

これでもうミーハーなわたしとは言わせない!!

 

すると1.5メートル上空の私は微笑みながらこう言うのだ。

「そういうところ、変わってないねぇ」と。

 

そこでわたしはハッとする。

クソォ、また私にやられてしまった、と。

地上のわたしと、上空1.5メートルの私は

こうして毎日ニヤニヤしながらお互いを尊重しているのである。笑

 

わたしはまだまだ、

日本中で俵万智のツイートをきっかけに、

俵万智の歌集を購入したミーハーの1人でしかない。

だがそれってとても素敵なことだと、「私」も「わたし」も思う。

 

 

七月六日はサラダ記念日。

わたしと私はもう1つ、七月六日に記念日を付け加えよう。

まっすぐな「わたし」を「私」が受け入れた七月六日はわたし記念日

 

 

ちなみに俵万智の歌集が届くであろう七月十三日は、

脱ミーハー記念日である。

 

 

2020.07.06

たいらりょうた